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絵歴Talk2000 さんの新古賀歴史探訪

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馬の歴史をすこし調べてみました

今年の干支が「うま」なので、つれづれに馬の歴史をすこし調べてみました。

「ひと」は4百万年くらい昔にアフリカでうまれ、「うま」は6千万年くらい前に北
アメリカでうまれたといわれています。

3万年前くらいからヨーロッパの洞窟で、旧石器時代の人間が動物の絵を描きはじめ
ましたが、壁画の60%が馬、17%が牛、16%が鹿だそうで、人間に一番関心が
あった動物が馬だったことがわかります。

人間が馬にのるようになったのは、馬の口に噛ませるクツワ(轡)によってできた歯
型の研究から、6千年前くらいだとわかっています。

東北アジアでは、滿蒙地方に騎馬民族があらわれ、紀元前2千年前の「殷の時代」に
は、2頭立ての馬車で中国を支配し、そのあとの「周の時代」には4頭立ての馬車で
さらに強力な軍隊となったといわれています。

日本では、縄文時代、弥生時代、古墳前期時代までは、馬牛がすくなく、人手による
農耕作業が主体でしたが、古墳後期時代(4、5世紀ころ)から急に多数の馬匹を飼
育するようになりました。このことは考古学的研究で、馬に乗るための馬具や馬飾り
などが、この時期から急増して発掘されたことから明確になりました。

これは馬だけでなく、騎馬を常習とする民族が馬を伴って、かなり多数の人間が大陸
から渡ってきたと考えられ、天孫降臨の神話と結び付ける説が優勢になっています。

すなわち地理的にみて北九州、筑紫がもっとも有力で、文献でも日本書記、新唐書な
どを総合すると、天照大神がその一族を、韓国南部と筑紫のあいだのに降臨させたと
いう所伝は、対馬、壱岐、沖の島などの神社の縁起につながっているからです。

また騎馬民族がまず北九州に渡来したことは、当時の古墳(福岡県の竹原や桂川の装
飾古墳など)に、馬の絵が描かれているのも大きな証拠となっています。古賀市に馬
渡の地名があるのもその証しでしょう。

また古墳後期時代以降には広い範囲の古墳からは、馬の骨や馬具や馬の埴輪などが沢
山みつかっており、騎馬民族の文化が普及してきたことがわかります。

飛鳥時代には、蘇我馬子や厩戸皇子など馬に関する人名が良く使われました。大和朝
廷の官職としては、推古朝のとき「馬司」が正式に設けられました。それ以前にも、
氏名としは馬飼氏や鞍部氏など、専門職をあらわすものがあります。

これらは武将(東日本の大友氏や西日本の物部氏)の統率下におかれて、軍事力の重
要な部隊になっていたのでしょう。粕屋郡地方には物部氏の舂米連が配置されていた
ことから、聖徳太子との関係が深かったといわれています。ちなみに聖徳太子は、う
ま年生れであったそうです。

ただし十二支では、うまに「午」の字を当てています。

「午」は、杵(きね)の形をした器をあらわす抽象的な象形文字で、道路にこの器を
おいて、馬の行列の儀式をおこなったことから、十二支獣のうまに当てられたそうで
す。

「馬」は、たてがみをなびかせた馬の形からきた象形文字で、直感的に解りやすい形
です。

どちらが古いかはわかりませんが、「午」のほうが簡単で読みやすいから、よく使わ
れたそうです。

現在では、馬が活躍する分野は競馬だけになってしましましたね。


『十二支のHP』
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KOHO/faq/reki/jyuunishi.htm#jyuunishi
http://www.gld.mmtr.or.jp/~raihodo/miugaku.htm
http://www.jinja.or.jp/faq/answer/12-02.html
http://ww2.tiki.ne.jp/~sugui/month/past/monthly801.html
http://contest.thinkquest.jp/tqj1999/20106/onmyou/jukkan.htm
http://www.famousdoor.co.jp/eto/main-j.html
http://www.town.bisei.okayama.jp/stardb/cal/data/cal0024.html

うまの置き物

著者:絵歴Talk-2000(gfujino@yahoo.co.jp)
頁作成:櫻井裕子(yukos@land.linkclub.or.jp)