:
- インターネットの中に、仮想の古賀市の商店街を作る計画を進めています。
江戸時代のころ栄えた青柳宿をイメージして、のれんに青年部のかたの屋号を入れて、そこをクリックすると、今のお店が表れて、例えば、青柳醤油さんだったら、その商品の紹介などします。
FAXなどで注文とかできるようにしたいと思っています。
それで、今日は青柳宿のお話を、伺えたらたらと思っています。
:
- それはいいことですね。
青柳宿は、参勤交代のために作られた宿場で、半官半民でつくられました。
お茶屋本陣は、現在の青柳醤油の隣にあって、殿様がお泊まりになりました。
上の茶屋、下の茶屋などがあり、宿として家来が泊まり、そのまわりに普通の宿屋、馬宿がありました。
全部で100軒くらいありました。
計画たてて作られた宿場ですから、京都の町に見られるように一軒一軒の間口は狭くて、奥行きが深くなっています。
:
- そうですね。青柳醤油さんのところも、奥行きが深いですね。
:
- 唐津街道は島津の殿様、唐津の殿様、福岡の殿様が通られました。
箱崎宿の次は、青柳宿ですが、そのころは、歩くのなんか平気ですから、家族も青柳宿まで見送りにきて、ここで別れを惜しみ、それまで礼装だったのが、ここで、旅装束にかえたのです。
:
- 青柳宿構え口を、さっきみてきたのですが..。
:
- 反対側には白壁が記念に残されていましたでしょう?
:
- そうですか、気がつきませんでした。
(この後、再び、青柳町へ行き見てきました。
青柳構え口バス停横にありました。
この構え口から444m、両側に並ぶ家々がいわゆる青柳宿と言われるところです。
青柳と青柳町は違います。)構え口跡碑・構え口説明
:
- 又、道もまっすぐじゃなくて、わざと鈎型になっています。
隠れたりしやすいように、わざと複雑にしています。
:
- 青柳醤油さんのところで、折れていますね。
:
- 江戸時代は、古賀市では、唐津街道、青柳宿が交通の要所でしたが、大和時代は、席内駅(むしろうちえき)が交通の要所だったのです。
次に青柳宿、そして、明治のはじめのころは、往還道路(旧3号線)が中心で郡役所もその国道沿いにありました。次に鉄道が敷かれ、古賀駅付近が栄えました。
今は又、だんだん国道3号線へ移動しています。舞の里あたりが中心となるでしょうね。
将来は、九州自動車道の古賀のインターあたりかもしれません。
|