「色姫の墓碑」は古賀市青柳石瓦2202番地、清水傳右衛門氏宅裏にあります。古賀市指定文化財です。
高さ約2m,巾約1.5mの大きな石の墓碑は、色姫開祖の寺院「竹龍院(ちくりゅういん)」跡に、住職の三晋字珪(さんしん じけい)によって奉られました。
色姫ってどんな運命の人だったのでしょう?色姫には二つの悲しい逸話があります。
一つは、山田の地蔵様にまつわる話です。
1552年、有名な宗像家のお家騒動のとき、色姫(7才)の腹違いの姉菊姫、その母など6人が色姫の実兄氏貞(うじさだ)の家臣に討たれるという惨劇がありました。
ところがその後、その祟りでいろいろの異変が起こりましたので、これを鎮めるために、6人を六地蔵として、宗像郡山田村にまつられました。
しかし、祟りが、郡外にも拡がり、むしろ内の医王寺にある「山田地蔵経石塚」も供養をして霊を鎮めるために奉られたということです。
(れきしのアルバム No2 古賀町教育委員会 H7.4.1発行参照)
もう一つは、戸次(立花)道雪の側室色姫は天正12年(1584) 実家宗像氏と婚家立花氏が争った小金原(こがねばる)の戦いの時、それを苦にして自殺をしたとされています。38才でした。
その15年前、色姫は、毛利側についた兄宗像大宮司氏貞が、大友に破れ、和睦のための人質として、大友の家臣道雪におくられました。
色姫は後に、道雪の側室となりました。道雪57才、色姫25才でした。