井上さんが長崎先生からお話を伺って来ました。
- 古賀市小山田458番地
昭和54年(1979年)に高川睦馬氏宅地の武内神社の下から出土
- 十三仏は初七日から33回忌までの13の法事に割り当てられて仏様や菩薩です。
- 不動明王 ふどうみょうおう(初七日)
- 釈迦如来 しゃかにょらい(二七日)
- 文殊菩薩 もんじゅぼさつ(三七日)
- 普賢菩薩 ふげんぼさつ(四七日)
- 地蔵菩薩 じぞうぼさつ(五七日)
- 弥勒菩薩 みろくぼさつ(六七日)
- 薬師如来 やくしにょらい(七七日)
- 観音菩薩 かんのんぼさつ(百ケ日)
- 勢至菩薩 せいしぼさつ(一周忌)
- 阿弥陀如来 あみだにょらい(七回忌)
- 大日如来 だいにちにょらい(十三年)
- 虚空蔵菩薩 こくうぞうぼさつ(三十三年)
- 33年たつと 死者はみんな神様になるといわれています。
- この仏様や菩薩が掘られた高さ20cmくらいの13個の石に囲まれて
一字づつお経が書かれた何万という経石があったと思われます。
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- 一字一石っていうのは何ですか。
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- 江戸時代に多く見られるのですが、山伏などが法華経を一字づつ石に書いて供養したのです。
一石ごとに祈祷しますから、7万くらいありますから、それは大変な労力でした。
飢饉のとき、千鳥ケ池の雨乞いのため(1853年)、法華経一字一石のご祈祷中大雨が降り、福間浦山伏金剛院が溺死したという記録があります。
それ程厳しかったのですね。-
(雨が降ってきたから止めてよいということでなく、最後まで一字一石の祈祷を続けたからでしょうね・・井上記)
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- :この地にそれだけの一字一石経をたてたと言うことは、飢饉か何かその当時あったために たてたのでしょうか?
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- そうかもしれませんし、もともとこのあたりは小さなほこらが点々とあり、神功皇后ゆかりの小山田斎宮もあり、聖母屋敷(せいもやしき) と言って地名が小字で残っています。
ですから、ケガレを忌む聖地ということが関連があるかもしれません。
なぜここに十三仏碑一字一石経塚があるのかはまだ分かっていません。
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- 古賀にほかにも 一字一石経塚 がありますよね。
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- あります。薬王寺の東前寺境内、むしろ内医王寺の丘、青柳寺浦の大日堂近くなどにあります。
十三仏碑一字一石経塚 (I) 古賀市の風景
十三仏碑一字一石経塚 (II) 古賀市の風景
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作成:櫻井裕子(yukos@land.linkclub.or.jp)