[古賀市の歴史]
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千鳥ケ池には40年くらい前に
天然記念物に指定された
「ツクシオオカヤツリグサ」
という植物が蘆の茂みにはえています。
貴重な北限自生地だそうです。
今の季節は、枯れて見えませんでした。
千鳥ケ池にまつわる伝説は色々あります。
その一つを紹介しましましょう。
昔この池の畔に仲睦まじく暮らす若夫婦が住んでいた。
その妻は、冠(今の福間)から嫁いで来た者で、名を千鳥という。
妻は、よく働いて、透き通るような白い肌、きちんとした身だしで、何一つ非の打ちどころがなかった。
しかし、この嫁に一つ不思議なことがあった。
それは、夫が外から帰って来た時には、必ず咳払いをして家に入ってくれと熱心に願うことだった。
ある日、夫は、なぜだろうと 我慢しきれずに、ソ−ッと覗いてみると、最愛の妻は蛇身となって焔のような赤い舌でペロペロなめて、髪を整えていた。
夫が覗いたことを知った妻は、側の池に投身し池の主になった。
それからこの池を「千鳥ケ池」という。
もし、この池を干すと、池の主は、自分の姿を見せまいと、必ず大雨を降らすと言われている。
井上さんが長崎先生からお話を伺って来ました。
:
伝説はたくさんありますが、千鳥ケ池の雨乞いは、伝説じゃなくて実際の話です。
明和の飢饉(1768)の頃から 千鳥ケ池で度々雨乞いが行われました。
雨乞いのため、粕屋、宗像b)ら3000人くらいの農民が動員されて掘りきりをして池の水を干したのです。
:
雨乞いするのに、どうしてせっかくある池の水を干したりするのですか?
:
昔は、池を干して、蛇を刺激して蛇は雨の神様ですからね、雨を降らすようにするしか方法がなかったのですよ。
:
そうですね、千鳥ケ池に水はあっても、田んぼには水はなかったのですね。
今のような、水道や、ダムはないでしょうからね。
:
嘉永6年(1852)の雨乞いでは山伏の金剛院が船に乗って法華経を一字ずつ石に書いて、5万字を 祈りながら書いて池に投げなした。
そのとき大雨が降りはじめたのですが金剛院は一字一石を書き続け、溺死しました。
それくらい、山伏は厳しく、真剣に祈ったのでですよ。
いまやったら、雨が降ってきた、よかったーで、やめるでしょうがね。
雨乞いで重要な役割を果たした山伏の修験道のことに、話は移りました。
神仏習合、日本独自の、山岳を駆け巡り修行する修験道は密教で、全身全霊で祈とうをしたそうです。
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千鳥ケ池
作成:
櫻井裕子(yukos@land.linkclub.or.jp)