[古賀市の歴史][ホーム]

ふるさと古賀の修験道の遺跡

修験者といえば山伏ですが、山伏姿になり、頼朝の追手から逃れる義経と弁慶の有名な安宅関の一節がありました。

山伏は 全国各地の山々を修行の場としました。
山伏は、自分の罪と同時に、人々の罪を全部背負って自分が苦行しました。
苦しみが多ければ多いほど、罪が滅びると考えました。

修験道は、仏教、道教、神道、などが混ざった日本独特の宗教ですがその活動は、大根川の逸話のある空海の真言宗派(当山派)と最澄が興した天台宗派(本山派)にわかれていました。
長崎先生は 修験道は難しいです といわれましたが、神道のようで神道でない、仏教のようで 仏教ではないらしい修験道に、筆者は すっかりこんがらがったままで 書いています。
とにかく 古賀にも その二つの派の遺跡がそれぞれに残っています。

古賀での真言宗派(当山派)の活動の記録としては、5家が残っています。

今回は、その一つの米多比の村上家をたずねました。祭壇には修験道が盛んなころの守り本尊ではないかといわれる薬師如来像、その他、大きなほら貝や 大きなお数珠(?)がありました。

また、古賀には、もうひとつの天台宗派(本山派)の峰入りの遺跡が2ヶ所あります。莚内と岳越山です。
どちらも宗像から宝満山までの法華28品の峰の一つでした。
当時 莚内にも森があったそうで、熊野神社や、中村市長と関わりある けい雲寺も宿となったりして1616年, 1696年、1812年の春峰の記録が 1820年の続風土記に記載されているということです。
直接この 修験道とは 関わりありませんが大乗仏教と小乗仏教のことが 話題になりました。

北園さんによると、簡単に言えば、大乗仏教は 南無阿弥陀仏と唱えれば みんな救われるという日本式の仏教です。

また 、小乗仏教は インドやタイで信仰されているもので苦しい修行や、自分自身の努力がないと救われないというものだそうです。

日本人の和を重んじて、「みんな」でという傾向は、この大乗仏教の思想からきているのでしょうか。
それは 農耕民族と狩猟民族の違いからも言及できるらしいということです。

2月の小さな歴史講座の感想から
照屋さん
北園さん
[古賀市の修験道のゆかりを訪ねて(米多比の村上家)]古賀の風景

リクエストや載せたいことがあったらおしゃべり掲示板に書いてね。
作成:櫻井裕子(yukos@land.linkclub.or.jp)