
(付. 初めて古賀に来たころ)
私が初めて古賀を体験したのは、たしか昭和45年(1970)の初夏の頃ではなかったかとおもう。今から遡って、ざっと30年ばかり前の、ちょうど今時分の季節であった。
お昼過ぎ、当時私の勤務先があった福岡市貝塚あたりまで迎えにきた建築業者の車に同乗し、国道3号線(当時)を北上しながらの宅地探しだった。私の懐には、郷里の水田3反歩を処分してつくった約百万円ほどの札束がしのばせてあった。
国道は今日ほどには混んでなかったが、それでも50年ほど前(昭和26年)に、福岡市へやってきた当時にくらべれば、車の往来もかなり頻繁になっていたような気がする。
西鉄貝塚駅(当時は貝塚競輪場前?)から多々良川にいたる区間は、葦が生い茂る湿地帯で、とうてい宅地にはなりそうもない土地ばかり。それで多々良橋をわたり糟屋郡(香椎)に入ったあたりから、さっそく土地の物色にとりかかった。
いくらも空き地はあるようで、いざ探すとなるとなかなか見つからないのも土地。これはと思う土地はお高くてとても手が出ず、これならと思う土地には水がなかったり、もう少し、もう少し、と業者に促され、香椎、新宮のあっちこっちを引っ張りまわされたあげく、古賀までやってきたのは、陽も傾きかけた夕刻近くだったようにおもいます。
古賀で最初に連れてこられたのは、国道を少し海岸に入った、広々とした砂地の原っぱに松がまばらに生えたところでした。どうやらいまでいう花見何丁目というところであったらしいが、すでに福岡市を離れて半日が経過、見知らぬ土地にやってきて、当時そんな歌の文句があったかどうか知らぬが、「はるばる遠くに来たもんだ」の感もだしがたく、車を降りる気持ちさえ湧かず、「もう引き返しましょう」ということになりました。
車を戻して少し走らせたところで、「もう一ヶ所だけ」との業者の強引な誘いに引きずられてやってきたのが、いま私が住んでいる古賀の庄(現在の今の庄2丁目)というところでした。ガタガタの狭い農道に入って進むことしばし。周囲はおおかた水田で、ところどころにみかん園がみられました。家屋も農道脇にちらほらあったように記憶しております。
目指す土地は、当時建造中(昭和45年12月開通)であった香椎バイパス(現国道3号線)から200〜300メートルばかり離れ、東側は一段低いところに水田、南面にみかん畑が広がる、少し傾斜のある地形に拓いた1反歩ほどの水田を、真ん中に4メートル巾の道を付けて4区画に分け、道には申し訳ていどの側溝をつけた、いわゆるミニ開発・簡易開発ともいうべき、宅地にみせかけた水田でした。どうやらこうした方法は、当時の地元不動産屋が農耕地の乱開発を行うときに用いた常套手段でもあったようです。
4区画のうちの1区画は、すでに町内から若夫婦が家屋を新築入居しているとのこと、もう1区画は町外の方とかで家屋新築中でした。何とか人が住むための条件は整っているようだし、湿田気味で地盤に少し不安はありましたが、南面にみかん畑を抱く、まずまずの物件として、懐具合とも相談してこれに決めることにしました。陽も落ち薄暗くなりかけたころで、それにもう私はいい加減に疲れていました。
水田2畝16歩(76坪=252 )。坪単価18,000円として、土地代金136万8千
円。手数料・水道施設費・水利組合費等を加算して1,476,000円の支払っ
たと、当時の手帳にメモが残っておりました。高いか安いかはそれぞれ人
の主観によりますが、当時私が売却した郷里の水田価格とは、18倍の開き
がありました。また当時の私の年間給与所得のほぼ1年分に相当する額
だったように記憶しております。
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土地を手に入れた翌年、現在地に安普請の家屋を建て、昭和58年(1983)に古賀を離れるまでの12数年間を、古賀の住民として過ごすことになりました。もっとも、私自身では休日以外、もっぱら西鉄古賀駅-貝塚間までの往復で、それほど古賀の住民としての自覚はなかったようにもおもいますが。当時流行りかけた言葉での通勤族ということでありましょうか。
それでも、入居当夜に思わぬ珍客の盛大な歓迎をうけたことを想い出します。引っ越し荷物の整理も一段落、畳の香りも新たらしい南面の居間での団らんの夕餉も終わりかけたころ、すがすがしい夜風でも入れんものとカーテンを引いたところ、ナント、ナント、数百匹?に及ぶ雨蛙が、4枚のガラスサッシ戸いっぱい、声も立てずにへばりついているではないか。
たぶん、庭を隔てたみかん畑から、闖入者の食事風景を一目見学せんものと、大勢誘い合っての来訪でもあったろうか(実際は雨蛙の趨光性によるもの?)。たまたま引っ越しの手伝いにきていた親戚のお嬢さんの顔が一瞬青ざめ、今にも泣かんばかりの風情。こうなっては、もはや自然との共生などと呑気なこともいっておれず、カエル軍団には即刻のお引き取りを願わずにはなりませんでした。
後日譚:
手伝いにきたお嬢さんは、それっきり我が家を訪れることなし。件のみかん畑は、2,3年後、ブルトーザーの力には、ものの半日ともたずに、きれいさっぱり消えてしまいました。雨蛙の来訪も少なくなりましたが、み
かん畑の跡には、見上げるほどの距離に2階屋が建ち、それっきり緑を渡る葉風も、迷い蛍も、そして庭に陽ざしも訪れることもなくなりました。

(1999/05/28.)
タンメイ(hzz03163@nifty.ne.jp)
作成:櫻井裕子(yukos@land.linkclub.or.jp)