古賀の風景 (148)

第6回特別展  

こがの近代工業のあゆみ (I) 記念講演 2/14

会期: 平成11年2月2日(火)〜28日(日)
会場: 古賀市歴史資料館
主催: 古賀市・古賀市教育委員会・ 特別展示実行委員会


(明治から 昭和30年代までを中心に紹介)

ふるさと古賀は、明治11年の国道建設に始まり、
鉄道の敷設により古賀駅が誕生し、工業の近代化へと
進み始めました。

古賀の工業は、それまでの家内工業が
行われている所に交通や水等の立地条件のよいことから
工場が次々に進出してきました。

さらに、昭和40年代に工業団地を造成して、
工業を誘致したり、福岡・北九州に近いことから
関連の工場が進出したりして工業都市と言われるくらいに
発展してきました。


小山さんと安武さん 記念講演 挨拶の
古賀市文化財調査委員の小山さん



左は 企画実行されてた
歴史資料館長 の安武さん



講師:村山 武さん(古賀市文化財調査委員)

本題に入るまでの前置きが長かったのですが
とても 印象に残る前置きでした。

昭和 23年に教職を離れてそのあとずっと
農業についたから、自分大将でやってきたから
何を言うか わかりません。

勤務評定が一番厳しいのは百姓です。
稲や野菜の一つ一つと対話して
いかなければならない。

人が やろうとすることは
ストップをかけないことにしている。しかし
やるからには 自分でやりなさい。
講師:村山 武さん
高千穂製紙(株) 昭和12年 高千穂製紙(株) 昭和12年
のお陰で古賀市は潤ったが、
しかしこれは
海水浴場が泡ブクになり、公害が起こり
企業がきてくれるのは うれしいが
公害がおこった。
昭和45年高千穂製紙(株)閉鎖

どうして浄化するか?
工業団地を一ヶ所にまとめて
計画的にして、
人に迷惑をかけないようにした。

一期:近代工業のあけぼの (明治時代)

古賀は農村であったので農作業は
人力、畜力で行われていた。
そこへ、農機具を製作する工場
(松本旭工場)駅前に設立された。
(明治42年)
古賀市特許第一号といわれる
松本氏は 農民が苦労している農作業の
改善に日夜苦労を重ねて、
次々に特許を取り、多くの農機具を
世に送り出した。
:松本式脱穀機、松本式製縄機 など


松本旭工場
伝統的な家内工業:
(明治40年の職人の業種)


大工職、木挽職、桶職、石工職、畳刺職

鍛冶職、屋根葺職、左官職、蹄鉄工職、

さか杜職、蝋油絞職、瓦職、傘職

仕立物職、塗師職、鋳物繕職、

竹細工職 など







ニビシ醤油
大正8年 日本調味料醸造(株)は
ニビシ醤油の前身であるが、
会社の始まりでもある。
二期:近代工業の推進
(大正〜昭和10年代)


古賀には 農業の副業としている養蚕の
振興につながる乾繭所、包帯工場が
設立された、製材所そして
古賀駅に接して食品工業が進出した。

原材料や製品の輸送が便利であること、
水が豊富で、土地が得やすいこと、
労働力が得やすいこと等立地条件が
よかったころから工場が集まってきた。

工場の多くは古賀駅を中心に鉄道沿いに
設立して引込線を敷いて
鉄道輸送を容易にした。
古賀国益マオラン 工場(昭和5年)

古賀国益マオラン 工場(昭和5年)
ロープや、帽子などの繊維を生産した。
岡部鉄工所

岡部鉄工所(現岡部機械工場)昭和9年
鉱山用ベルトコンベアのローラーを中心に
産業機械、荷役用機械を生産。




西部電機(株)

西部電機(株)(昭和17年)は
電動機とベルトコンベアを組み合わせた
巻上機等の鉱山用機器を生産していた。



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