| 会期: | 平成11年2月2日(火)〜28日(日) |
| 会場: | 古賀市歴史資料館 |
| 主催: | 古賀市・古賀市教育委員会・ 特別展示実行委員会 |
(明治から 昭和30年代までを中心に紹介)
| ふるさと古賀は、明治11年の国道建設に始まり、 鉄道の敷設により古賀駅が誕生し、工業の近代化へと 進み始めました。 古賀の工業は、それまでの家内工業が 行われている所に交通や水等の立地条件のよいことから 工場が次々に進出してきました。 さらに、昭和40年代に工業団地を造成して、 工業を誘致したり、福岡・北九州に近いことから 関連の工場が進出したりして工業都市と言われるくらいに 発展してきました。 |
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記念講演 挨拶の 古賀市文化財調査委員の小山さん 左は 企画実行されてた 歴史資料館長 の安武さん |
講師:村山 武さん(古賀市文化財調査委員) 本題に入るまでの前置きが長かったのですが とても 印象に残る前置きでした。 昭和 23年に教職を離れてそのあとずっと 農業についたから、自分大将でやってきたから 何を言うか わかりません。 勤務評定が一番厳しいのは百姓です。 稲や野菜の一つ一つと対話して いかなければならない。 人が やろうとすることは ストップをかけないことにしている。しかし やるからには 自分でやりなさい。 |
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高千穂製紙(株) 昭和12年 のお陰で古賀市は潤ったが、 しかしこれは 海水浴場が泡ブクになり、公害が起こり 企業がきてくれるのは うれしいが 公害がおこった。 昭和45年高千穂製紙(株)閉鎖 どうして浄化するか? 工業団地を一ヶ所にまとめて 計画的にして、 人に迷惑をかけないようにした。 |
一期:近代工業のあけぼの (明治時代) 古賀は農村であったので農作業は 人力、畜力で行われていた。 そこへ、農機具を製作する工場 (松本旭工場)駅前に設立された。 (明治42年) 古賀市特許第一号といわれる 松本氏は 農民が苦労している農作業の 改善に日夜苦労を重ねて、 次々に特許を取り、多くの農機具を 世に送り出した。 :松本式脱穀機、松本式製縄機 など |
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| 伝統的な家内工業: (明治40年の職人の業種) 大工職、木挽職、桶職、石工職、畳刺職 鍛冶職、屋根葺職、左官職、蹄鉄工職、 さか杜職、蝋油絞職、瓦職、傘職 仕立物職、塗師職、鋳物繕職、 竹細工職 など |
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![]() 大正8年 日本調味料醸造(株)は ニビシ醤油の前身であるが、 会社の始まりでもある。 |
二期:近代工業の推進 (大正〜昭和10年代) 古賀には 農業の副業としている養蚕の 振興につながる乾繭所、包帯工場が 設立された、製材所そして 古賀駅に接して食品工業が進出した。 原材料や製品の輸送が便利であること、 水が豊富で、土地が得やすいこと、 労働力が得やすいこと等立地条件が よかったころから工場が集まってきた。 工場の多くは古賀駅を中心に鉄道沿いに 設立して引込線を敷いて 鉄道輸送を容易にした。 |
![]() 古賀国益マオラン 工場(昭和5年) ロープや、帽子などの繊維を生産した。 |
![]() 岡部鉄工所(現岡部機械工場)昭和9年 鉱山用ベルトコンベアのローラーを中心に 産業機械、荷役用機械を生産。 |
![]() 西部電機(株)(昭和17年)は 電動機とベルトコンベアを組み合わせた 巻上機等の鉱山用機器を生産していた。 |