古賀の風景 (83)  

永浦古墳 古墳時代の古賀の風景 (II) 5/9


1.はじめに

本遺跡は古賀市北西に位置し、粕屋郡新宮町との境界をなす岳越山から

北西方面に延びる丘陵の先端に位置し、玄界灘が一望できます。

周辺には、

1972年に九州大学を中心にした鹿部山遺跡調査によって調査された鹿部山遺跡、

1982年から1985年にかけて古賀町教育委員会によって調査された花見古墳群、千鳥古墳群

1996年から1997年にかけて古賀市教育委員会によって調査された

などがあります。

この度、本遺跡上に資材置き場の造成がおこなわれることになり、

工事にさきがけて文化財調査を実施することになりました。

2. 調査機関
:1997/12から 1998/6
3. 所在地
: 古賀市鹿部永浦502−1他
4. 面 積 : 11.942m2 (うち調査面積 7,000m2
永浦古墳埋葬の背景

永浦古墳に埋葬された人々は、

どのような時代背景を持ち、

どのような人々が活躍していたのか?


永浦古墳が築造された5世紀は

近畿地方を中心に古墳が大型し、

大和政権の拡充期にはいり、

大陸との交流も活発化し、

九州では古墳の副装品に大陸系の

出土例が増加。

北部九州では、筑紫君、宗像君などの

首長たちが活躍。


この永浦古墳の主は?
上、右とも4号墳。
たくさんの見学者に説明中の
社会教育課技師甲斐さん。

上の写真では 死者の人骨が見える。
あご、腕、脚の骨とともに
胸に短剣、両サイド、足元に長剣
そしてりっぱな甲冑、
手元に、向かって左に金環 と土師器。

装飾品は少なく、豪華な武具。

軍事的な有力者と推測されている。

この石棺内部は、魔除けの赤色顔料が
塗られていた。
左は、上記 4号墳 石棺の大きなふた。

墳丘は直径 30m弱、高さ 3mの円墳。

石棺は全長2.84m、幅0.74m 、深さ 0.5m


手前から 3号墳、2号墳が見える。、

1号墳は、国道3号線により

墳丘のほとんどが消滅している。

11m前後の低墳丘の円墳で

石と板材を組み合わせた

木棺だったらしい。



2号墳

11m前後の低墳丘の円墳で
石と板材を組み合わせた
木棺 (全長3.15m)だったらしい。
盗掘されている。


3号墳

直径 9mの低墳丘の円墳です。
組み合わせ式木棺(全長1.55m)
盗掘されている。



永浦古墳の背景を説明する
社会教育課技師の井さん。



参考資料: 永浦古墳群
(古墳時代中期の古墳発掘調査概要)
古賀市教育委員会配布(1998/5/9)

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